P--817 P--818 P--819 #1弥陀如来名号徳 弥陀如来名号徳 無量光といふは 経に のたまはく 無量寿仏に 八万四千の相 まします 一一の相に おのゝゝ 八万 四千の 随形好 まします 一一の好に また 八万四千の 光明 まします 一一の光明 &M010174;照十方世 界 念仏衆生 摂取不捨と いへり 恵心院の僧都 このひかりを 勘て のたまはく 一一の相に お のゝゝ 七百五倶胝 六百万の 光明あり 熾然赫奕たりと いへり 一相より いつるところの 光明か くのことし いはむや 八万四千の相より いてむひかりの おほきことを おしはかりたまふへし この 光明のかすの おほきによりて 無量光とまふすなり 次に 無辺光といふは かくのことく 無量のひか り 十方をてらすこと きわほとり なきによりて 無辺光と まふすなり 次に 無礙光といふは この 日月のひかりは ものを へたてつれは そのひかり かよはす この弥陀の 御ひかりは ものにさえら れすして よろつの有情を てらしたまふゆへに 無礙光仏と まふすなり 有情の煩悩悪業の こゝろに  さえられす ましますによりて 無礙光仏と まふすなり 無礙光の徳 ましまささらましかは いかゝ  し候はまし かの極楽世界と この娑婆世界との あひたに 十万億の 三千大千世界を へたてたりと  P--820 とけり その一一の三千大千世界に おのゝゝ 四重の鉄囲山あり たかさ 須弥山とひとし 次に 少千 界を めくれる鉄囲山あり たかさ第六天にくたる 次に 中千界を めくれる鉄囲山あり たかさ 色界 の初禅にいたる 次に 大千界を めくれる鉄囲山あり たかさ 第二禅にいたれり しかれは すなわち もし無礙光仏にて ましまさすは 一世界をすら とほるへからす いかにいはむや 十万億の世界おや  かの無礙光仏の光明 かゝる不可思議のやまを 徹照して この念仏衆生を 摂取したまふに さわること ましまさぬゆへに 無礙光とまふすなり 次に 清浄光とまふすは 法蔵菩薩 貪欲のこゝろなくして え たまえるひかりなり 貪欲といふに二あり 一には 婬貪 二には 財貪なり このふたつの貪欲の こゝ ろなくして えたまへるひかり也 よろつの 有情の汚穢不浄を のそかむための 御ひかり也 婬欲 財 欲のつみを のそきはらはむか ためなり このゆへに 清浄光とまふすなり 次に 歓喜光といふは 無 瞋の善根をもて えたまへるひかり也 無瞋といふは おもてに いかりはらたつかたちもなく 心のうち に そねみねたむこゝろもなきを 無瞋といふ也 このこゝろをもて えたまへるひかりにて よろつの有 情の瞋恚 憎嫉のつみを のそきはらはむために えたまへるひかりなるかゆへに 歓喜光とまふすなり  次に 智慧光とまふすは これは無痴の善根を もて えたまへるひかり也 無痴の善根といふは 一切有 情 智慧をならひ まなひて 無上菩提に いたらむとおもふこゝろを おこさしめむかために えたまへ るなり 念仏を 信するこゝろを えしむるなり 念仏を信するは すなわち すてに智慧をえて 仏にな P--821 るへきみとなるは これを 愚痴をはなるゝことゝ しるへきなり このゆへに 智慧光仏とまふすなり  次に 無対光といふは 弥陀のひかりに ひとしきひかり ましまさぬゆへに 無対とまふすなり 次に  炎王光とまふすは ひかりのさかりにして 火のさかりに もえたるに たとえまいらするなり 火のほの おの けむりなきか さかりなるか ことしと也 次に 不断光とまふすは この光の ときとして たへ すやますてらし…… ……ちにて おはしますひかり也 超といふは この弥陀の光明は 日月の光に すくれたまふゆへに 超 とまふすなり 超は余のひかりに すくれこえたまへりと しらせむとて 超日月光と まふすなり 十二 光のやう おろゝゝ かきしるして候也 くはしくまふしつくしかたく かきあらはし かたし 阿弥陀仏は 智慧のひかりにて おはしますなり このひかりを 無礙光仏と まふすなり 無礙光と ま ふすゆへは 十方一切有情の 悪業 煩悩のこゝろに さえられす へたてなきゆへに 無礙とは まふす 也 弥陀の 光の 不可思議に ましますことを あらはし しらせむとて 帰命尽十方 無礙光如来 ま ふすなり 無礙光仏を つねに こゝろにかけ となえ たてまつれは 十方一切諸仏の 徳をひとつに  具したまふによりて 弥陀を称すれは 功徳善根きわまり ましまさぬゆへに 龍樹菩薩は 我説彼尊功徳 事 衆善無辺 如海水と おしえたまへり かるかゆへに 不可思議光仏とまふすとみえたり 不可思議 光仏の ゆへに 尽十方無礙光仏と まふすと 世親菩薩は 往生論に あらはせり 阿弥陀仏に 十二の P--822 ひかりの名 まし…… ……浄土論に あらはしたまへり いふ諸仏咨嗟の願に 大行あり 大行といふは 無礙光仏の御名を 称 するなり この行あまねく 一切の行を摂す 極速円満せり かるかゆへに 大行となつく このゆへに  よく衆生の 一切の無明を破す また煩悩を 具足せるわれら 無礙光仏の御ちかひを ふたこころなく  信するゆへに 無量光明土に いたるなり 光明土にいたれは 自然に 無量の徳を えしめ 広大のひか りを 具足す 広大の光を うるゆへに さまゝゝの さとりを ひらく也 難思光仏と まふすは この弥陀如来の ひかりの徳おは 釈迦如来も 御こゝろおよはすと ときたまへ り こゝろの およはぬゆへに 難思光仏といふなり 次に 無称光とまふすは これも この不可思議光 仏の功徳は ときつくしかたしと 釈尊 のたまへり ことはも およはすとなり このゆへに 無称光と まふすと のたまへり しかれは 曇鸞和尚の 讃阿弥陀仏の偈には 難思光仏と 無称光仏とを 合して 南無不可思議光仏と のたまへり この不可思議光仏の あらわれたまふへきところを かねて世親菩薩 の…… ……としと みえたり 自力の行者おは 如来とひとしと いふことは あるへからす おの〜 自力の 心にては 不可思議光仏の土に いたること あたはすと也 たゝ他力の信心によりて 不可思議光仏の土 にはいたると みえたり かの土に むまれむとねかふ信者には 不可称 不可説 不可思議の徳を 具足 P--823 す こゝろも およはれす ことはも たえたり かるかゆへに 不可思議光仏と まふすと みえたりと なり   南無不可思議光仏      [草本云]       [文応元年{庚申}十二月二日書写之]                [愚禿親鸞{八十八歳}書了] P--824